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独りよがりで良いじゃない

在り来りな名前

私の名前はかなりポピュラーなものだ。

漢字にすると途端に珍しいものになるが、読み方だけなら日本でトップ10に入るのではないだろうか。

人名のみならず、植物や農作物、商品などでも見かける名前だ。

 

幼い頃はこれがコンプレックスだった。

 

同じ名前の友人と一緒にいると後ろから名前を呼ばれ、2人同時に振り返ると笑われた。

 

絵本やアニメにその名前のキャラクターがいると、そのキャラクターの失態や愚行を私までからかわれた。

 

読み方を連想しにくい漢字であるため、キラキラネームだと馬鹿にされたこともある。

 

今思えば取るに足らないことだが、自分ではどうしようもない生まれ持ったものをとやかく言われるのは愉快なことではなかった。

 

 

しかし成長するにつれそのような経験をする機会は減り、むしろ嬉しい経験が増えた。

 

大学に入学してすぐの頃、例の如く私の名前を読み間違えた友人に、「間違えた方の読み方も響きが可愛いから、そう呼んでも良い?」と言われた。

高校生の頃、これといったあだ名が無かった私にとっては大変喜ばしい申し出だった。

本名とはかけ離れた新鮮な呼ばれ方を今でも気に入っている。

 

 

また別の友人からは、「名前の漢字そのままって雰囲気だね!」との賛辞をもらったことがある。

身分不相応に輝かしい漢字をあてられたことを引け目に感じていた私にとって、両親が「こうなってほしい」と願いを込めて付けてくれた名前に少しでも近付けているのなら本望だ。

 

 

最近では、お花見に行った友人が、私の名前がつけられた桜の木をInstagramのストーリーに載せていた。

おそらく私を意識してくれての投稿であったためコメントを送ると、直ぐに反応をくれた。

 

まだ咲いていなかったらしい。

ごめんね怠けてた、そろそろ咲いたかな。

 

 

また別の日には、別の友人が私の名前がつけられたマーマレードの写真をLINEのグループチャットに送ってきてくれた。

その事実だけでも嬉しいのだが、あとに続いたおちゃらけながらも愛のあるやり取りが幸せだった。

 

 

名前を通じて心が温まる経験をすることが増えたこの頃、この名前にも、名付けてくれた両親にも、優しい友人達にも感謝の念が溢れる。