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独りよがりで良いじゃない

Tule sisään ikkunasta.

サンタクロースをいつまで信じていたか思い出せない。

小さな頃はそれなりに信じていたが、成長するにつれ次第に疑いだし、世間の雰囲気からなんとなく察し、気づいた時には真実を知っていた。特に衝撃も悲しみも印象的なエピソードもない。

思えば、信じていた頃からサンタクロースのシステムには多くの疑問を抱いていた。

まず、私の家には煙突が無い。絵本やアニメの中では、サンタクロースは煙突から家に入ってくるものだった。煙突のない我が家には入ってこられないのではないかと母に相談したことがある。「窓から入ってくるから大丈夫」と言われた。想像してみてほしい、窓から入ってくる赤い服の中年男性を。プレゼントをくれる聖人と言うより、どちらかといえば目立ちたがり屋の泥棒ではないか。

言語も疑問の1つだった。私は毎年サンタクロースに手紙を書いて欲しいものを伝えていたが、彼はどう考えても日本人ではない。日本語で書いて分かってもらえるものか心配だった。それについて母は「サンタさんは魔法使いだからどんな国の言葉も分かる」と言っていた。魔法使いならば文字にしなくとも子供たちの欲しいものなどお見通しなのではないか、と思ったが、もらえないのは嫌だったため結局毎年日本語で書いていた。

最後はプレゼントの内容についてだ。私の中でサンタクロースは、趣向を凝らした装飾が施された、小さいながらも可愛らしい、暖かな小屋に、妻とトナカイ達と暮らしているイメージだった。そんな彼が、なぜ日本の最新式の玩具をプレゼントとして持ってこられるのか。北欧の山奥でひっそりと暮らしているはずなのに、いつどこでそのようなものを購入しているのか。そもそも買っているのか?どこで?いつ?この資本主義社会、買わなければものは手に入らない。そんなことは分かっていたが、サンタクロースが買い物をしている姿はなんとなく興ざめだ。母は「サンタさんは世界中のおもちゃ屋さんと仲良しなの」と説明してくれたが、決して姿を見せない不思議な魔法使いであるはずのサンタクロースが、トイザらスの店員と営業や歓談をしていたらそれはそれで夢が壊れる。

 

こんなことばかり書いているとひねくれた子供だったと思われかねないが、素直に信じていたこともたくさんある。

彼が空を飛べるのも、一晩で世界中の子供たちにプレゼントを配ることができるのも、トナカイてコミュニケーションがとれるのも、「だって彼は魔法使いだから」の一言で解決していた。

それに、サンタクロースを信じなくなった今でも、クリスマスが近づくと心が踊る。街にツリーやイルミネーションが現れたり、クリスマスソングが流れたりしていると、日本中が特別な空気に包まれているようでワクワクする。サンタへの疑惑どころか、日頃の悩みまでも消えてしまうようだ。

イブも当日も大学があるが、こんな特別な日に予定を組まずとも友達に会えると思えばそれも悪くない。

クリスマスまであと一週間、このささやかな非日常的雰囲気を楽しもう。