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独りよがりで良いじゃない

レタリングモンキー

私は字が下手だ。言い逃れの余地なく下手だ。

どんなに優しい友人でも、私の字を褒める人はもいない。恥ずかしさのあまり、某資格講座でボールペン字を習ってみたこともある。多少マシにはなったが、それでも周りの人と比べたら見れたものではない。

優しい友人に「天才肌の人って字が汚いらしいよ!」と言われたことがある。それは「天才のなかには字が汚い人もいる」のであり、「字が汚い人はみんな天才」のではない。というか更に言ってしまえば、字が綺麗な天才の方が多いと思う。

字が下手な上に凡人の私は、ありきたりな裏技を使っている。文書を書く際、文字を一旦スマホなどに打ち込み、それを見ながら紙に書き写すのだ。所謂レタリングというものに近い。

書類、小論文、履歴書などといった真面目なものから、手紙、プリクラ、画像加工といった個人的なものまで、人の目に触れる文字を書く時は必ずと言っていいほどこのやり方を用いている。とてつもなく面倒くさいが、ちょっと楽しい。自分の字が、自分が書いたとは思えないほどまともな見た目になるのも嬉しい。

しかし、いかんせん時間がかかる。手紙やプリクラならまだしも、履歴書などの書類は鉛筆で下書きしてからボールペンで清書しなければならない。しかも、文量もなかなかのものだ。集中力が切れると自分の字に戻ってしまうため、書いている間は気が抜けない。

現在、情熱を注いでいるレタリングはゼミの申請だ。800字以内で志願理由を書かなければならない。つまり、人生を左右する800字だ。かつてない緊張感。一度全てWordで入力し、それを書き写すことにした。好きなフォントを選べるし、文字数も数えてくれて一石二鳥。そう思いたいところだが、なんとなく腑に落ちない点がある。

ゼミの申請用紙は、「手書きまたはWord」で書けば良いのだ。Wordで書いたものを提出しても良いなんて、私からしたら願ったり叶ったりだ。字が汚いのはバレないし、間違えても綺麗に修正できるし、時間の短縮にもなる。それにも関わらず、Wordという選択肢は私にはなかった。いや、私だけではない。友人達もほとんどが迷うことなく手書きを選んでいる。

私達の多くは、「字は書き手の心を反映する」とか、「入力された文字には気持ちがこもっていない」といった精神論を漠然と信じている。この文明社会において、なんという非効率主義だ。

たとえば、就職活動の際に何十枚何百枚もの履歴書を手書きするが、就職してからそれが役に立つだろうか。一時間かけて手書きで綺麗な書類を作れる人間より、十分ほどでWordの綺麗な書類を作れる人間ほうが企業に必要な人材ではないか。効率を重視することを楽をしていると見なされるのは納得がいかない。

こう書くと私が手書きを嫌っていると思われるかもしれないが、手書きは楽しいというのも本音だ。ただ、なんでもかんでも直筆であるべきだ、直筆であればいい、という考えに疑念を抱いているだけだ。

事実、レタリングは直筆ではあるがコピーなのだ。猿真似からどうやって気持ちを推し量れるものか。