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独りよがりで良いじゃない

推し事の話

MIU404にどハマりした。

 

既に放送が終了しているドラマの話をして申し訳ないが、それはもう尋常ではないハマり方をした。

 

1話から楽しんで観ていたが、2話、4話、6話と偶数回で号泣させられているうちに、7話が放送される頃には金曜22時はテレビの前で正座している生活になっていた。

ちなみに8話から11話は奇数も偶数もなく毎週号泣していた。

 

普段使っているTwitterで毎週大騒ぎしては友人達に申し訳ないため、わざわざMIUについて語るため専用のアカウントを作成した。感想や考察を思いつくままにツイートし、同士様方のそれらにひたすらいいねを飛ばす、新しい(Twitter上での)生活様式

 

ドラマの公式アカウントはTwitterInstagramもフォローし通知をオンにし、情報も画像もいち早く確認できるようにした。公式が、ドラマのある日もない日も惜しげも無く画像や裏話を公開してくれるのだから素晴らしい。

後半、物語が深刻な展開になってきてからは、公式が無邪気な文面で不穏な内容を公開するたびに阿鼻叫喚していたが。「ドキドキの展開😆」とか言うんだよ伊吹の生死がかかってんのに。

 

最終回を迎えるのが辛くて仕方なかったが、素晴らしい終わり方をしてくれたため思っていたほど落ち込むこともなかった。

否、ドラマの放送自体は終わったがMIU404の動きは終わらなかったから、と言う方が正確かもしれない。

 

最終回放送後からの1週間、「MIU404感謝祭」と称して毎日公式SNSが未公開画像を公開してくれた。全部保存した。勢い余って2枚保存したものもある。消せよ。嫌だよ。

今月末にはメモリアルブックの発売も決定している。無論予約済みだが、先程確認したら既に予約完売していた。

主演の星野源さんも主要キャストの菅田将暉さんもオールナイトニッポンのパーソナリティを務めていらっしゃるため、ラジオでも撮影裏話を聞くことができた。真面目な話から深夜ラジオらしい話まで。

 

また、年末にはDVD BOXの発売も決まっている。この情報は大学の集中講義の昼休み中に公開された。3万円弱という値段に暫時躊躇したが、お弁当を食べながら気づいたらクレジットカードの番号を入力していた。暫時(コンマ2秒)。

全話ディレクターズカット版という大盤振る舞いっぷりに感激していたが、さらに寛大なことにそれらDC版を今週土曜日からParaviで公開してくれるそうだ。404に因んで午前4時04分から。土曜日の4時起きが決定した。

 

もともとオタク気質であるため、ハマるとこうなるのは分かっていたが、久しぶりの沼であるため生活が楽しくて仕方がない。推しがいる時って推しがいない時どうやって生きてたのか忘れるよね。

 

とりあえず、年末までは楽しく生きていけそうで幸せです。という報告でした。

沙翁の話

私は大学でイギリス文学を専攻している。具体的にはウィリアム・シェイクスピアが専門だ。

これを人に言うと「かっこいい」「文学少女だね」などと褒められることもしばしばあるが、実際のところはそんな大層なものではない。

 

そもそも、大学に入るまでシェイクスピアの作品など一つも読んだことはなかった。

いや、小学生の頃、図書室に置いてあった『ロミオとジュリエット』に手を伸ばしたことはある。「セリフの上に名前が書いてある。本じゃなくて台本じゃん読みづら!つまんない!」と思った。甚だ失敬な子供だな。

 

読書は好きであったが読むのは専ら日本の小説で、海外の文学作品にはほとんど興味がなかった。

しかし、英米学科に入ったからにはそうも言っていられない。安直な私は、自分でも知っているイギリス人作家、すなわち世界で最も偉大な作家の一人、シェイクスピアの作品に手を伸ばしたのである。

 

かつて『ロミオとジュリエット』に全く惹かれなったことは覚えていたため、悲劇ではなく読みやすそうな喜劇を選んだ。それが『十二夜』で、とても面白かった。

子供の頃は奇妙に感じたト書やセリフ割も、そういうものだと思えばむしろ自分でテンポを作って読み進められるため読みやすかった。(そもそも、シェイクスピアの作品は戯曲であって小説ではない)

幸運なことに、妹も『十二夜』に興味を示した。彼女は本の類には一切興味が無いが、当時舞台俳優にハマっていた。シェイクスピアの作品は今でも世界中で舞台化されている。妹の好きだった俳優もこの『十二夜』で主役を演じており、彼女はそのDVDを購入していた。

映像化されたものを観ることで、自分の想像力の乏しさを痛感した。先程「自分のテンポで読み進められる」などと書いたが、プロの演技や演出はそんな次元ではなかった。

極端な例をとして『ジュリアス・シーザー』が挙げられる。シーザーが殺される場面には、彼のセリフの末尾に「死ぬ」と記されているのである。それだけ見ればシュールなギャグかと思う。

その2文字にどれだけの説得力を込められるか、これが役者や演出家、そしてもちろん観客にもに求められる想像力である。

 

私が思うにシェイクスピアの作品の魅力とは、その美しい文体や魅力的なキャラクター、巧みな構成やユニークな世界のみならず、そこに想像の余地を多分に残してくれている点にある。

それぞれのキャラクターが、与えられたセリフを、どんな声、表情、スピード、身振りで発したのか、それを自由に想像し自分なりの世界を創りあげる。それがめちゃくちゃ楽しい。

この楽しさを伝える語彙が「めちゃくちゃ楽しい」ではシェイクスピアに面目が立たないが。

 

何となく手を伸ばしたシェイクスピア作品だったが、今では舞台を観に行ったり彼の生家を訪ねたりと、その魅力に完全にハマっている。

どこに着ていくのか分からない『ハムレット』の名言Tシャツまで持っている。f:id:conmigo:20200709194517j:image

 

一番好きな作品は『十二夜』。四大悲劇はどれも好きで甲乙つけ難い。好きなキャラクターは『オセロー』のイアーゴー、嫌いなキャラクターは『じゃじゃ馬ならし』のペトルーキオ。卒業論文は『お気に召すまま』をテーマに書く予定。

 

以上、私とシェイクスピアのお話でした。オチは無いです。私は彼のような名作家ではないので。

 

 

私の骨組み

骨格診断なるものを受けてきた。

 

以前パーソナルカラー診断を受けた際も記事にしたが、何を書いたかさっぱり覚えていない。

 

記事の内容は覚えていないが診断結果が役に立っていることは間違いないし、今回の骨格診断でも有益なアドバイスを沢山もらうことができた。そのため、特に読み返したりはせず今回は今回で書き進めようと思う。

 

昔から、ショッピングをしていると服自体は可愛いくて自分好みであるにも関わらず、試着してみると似合わない、ということが度々ある。

サイズは合っているのにどこかしっくりこない。悲しいけれど似合わない服は持っていても仕方ないため泣く泣く諦める。

この現象は長きに渡り私の悩みの一つであったが、TwitterInstagramに溢れる美容系アカウントを眺めているうちに有益な情報を得た。

同じ身長体重であっても骨格は様々であり、それよって似合う服の形状も異なってくるらしい。

ちなみに、骨格は大きく3つのタイプに分けられ、I型のストレート、X型のウェーブ、Y型のナチュラルである。

これを知り、自分の骨格がどれに当てはまるのか興味を抱いた。

しかし、本格的な骨格診断はその道のプロに任せるしかない。巷で大流行していたこともあり、驚くほど予約が取れなかった。

そんなタイミングで付き合い始めた恋人がやたら服装に口出ししてくるタイプだったため、「プロの他人より、素人でも好きな人に良いと思ってもらえる服装の方が私にとっても理想的だ」と思い、骨格診断のことは忘れていた。

とんだのぼせ上がりだな。

 

ではなぜ今になって再び骨格診断を受けようと思うに至ったかと言うと、単純明快明々白々、その恋人に振られたからだ。WTF

 

髪型からメイク、服装、ネイル、香水、靴やカバンにまで自分の好みを指定してくる人だったため、別れてしばらくは何を着たら良いか分からず途方に暮れていた。恋にかまけて思考停止してたツケが回ってきた。

 

恋人が頼れなくなればプロを頼るあたり、思考が再開したとは思えないが、とりあえず前には進んだと思いたい。

 

診断の結果、ナチュラルタイプであると分かった。どちらかと言えばメンズライクな服装が似合う骨格である。

個人的には可愛らしい服装が好きだったため少し残念だが、それらが似合っていないことは薄々気付いていたため諦めがついた。

コースにはアドバイザーさんとのショッピングも含まれていたため、診断後に2時間程かけてUNIQLOとGUで買い物をした。4パターンのコーディネートを選んでもらって試着したところ、どれも自分によく似合っていた。プロってすごい。

その中で、服単体で見るよりも自分が着た方が魅力的に見える組み合わせを購入した。

 

自分に似合う系統が分かったことで、再び服選びを楽しめるようになった。

それから、アドバイザーさんに言われた「骨格に合う系統から外れているからといって自分に似合わないとは限りませんし、着てはいけない訳では全くありません。診断結果はあくまでアドバイスとして頭に入れておき、自分が着たいものを着るのが一番大切です」という言葉にも大いに励まされた。

 

誰だって、好きな服着てる時が一番良い顔してるんだと思う。

 

 

 

ランチパックはおやつに入りますか?

お昼ご飯がランチパックで足りる人って実在するんですか?ツチノコくらい都市伝説だと思ってるんですけど。

 

調べてみると、ランチパックは1984年から発売されているらしい。アヴリル・ラヴィーンと同い年、ロングセラー商品だ。

コマーシャルも、私が子供の頃は剛力彩芽が出ていたが今では山崎賢人に変わっている。起用されている俳優からも人気が伺えるが、それよりもどちらもランチパックより年下ということに驚いた。

 

剛力彩芽がコマーシャルをしていた頃、つまり私が小学生の頃は、朝ごはんに時々ランチパックを食べていた。母が祖母がスーパーで買ってきてくれる、ピーナッツやいちごジャムといったオーソドックスなものだ。

食べやすくて美味しいため好きではあったが、食卓にはせいぜい2~3種類のバリエーションしか上らなかったためすぐに飽きが来た。

 

それからしばらくは店でランチパックを見かけても積極的に手を伸ばすことはなかった。

 

しかしこの頃、つまりコマーシャルが山崎賢人に変わった頃、ランチパックのバリエーションが尋常じゃない数になっていることに気がついた。

サーティワンや森永製菓などといった他のスイーツ業界とのコラボはもちろん、ミニオン南山大学といった「どういう繋がり?」と聞きたくなるようなコラボまであった。

期間限定商品も多く、スーパーに行く度にラインナップが変わっているのではないかというレベルである。

ラムレーズンやシュガーマーガリン、ルビーチョコなど、そこらのカフェも顔負けのお洒落さである。

 

チーズダッカルビ味やバターチキンカレー味もあったが、私が個人的にドの付く甘党であるため、チョイスが甘いものばかりに偏ってしまうのは許して欲しい。

 

従来のランチパックはひと袋に同じ味のパンが2つ入っているのがデフォルトだが、最近のものは違う。1つはコーヒークリーム、もう1つは練乳クリーム、といった形で2種類の味が楽しめる物が多く存在する。

サーティワンとのコラボパックなど、パンの形状ごと変わって4種類の味が入っていた。アイデンティティを投げ捨ててまでの贅沢さ。

 

更に、これは特にスイーツ系のランチパックに言えることなのだが、冷凍すると新たな美味しさが見つかることが多い。

特に板チョコが入っているもの!!!これはもう、冷凍しない手はない。板チョコがパリッとして、周りのホイップもアイスのようになり、段違いに美味しくなる。

しかも、冷凍することで保存期間が伸びるのもありがたい。いつでも食べたい時に取り出して食べられる。

 

ここで、タイトルと冒頭の通り、ランチパックがランチなのかおやつなのかという問題に至る。

そもそも前述の通り小学生の頃から昼食ではなく朝食として食べていたのだから、私にとってランチパックがランチだったことはないが。

ひと袋2枚入で1枚あたり120キロカロリー前後、どう考えても昼食には足りない。昼間っから唐揚げだのハンバーグだのを食べて生活している私には足りるはずがない。

 

言い訳がましいが、1枚120キロカロリーならおやつにしても良いカロリーであろう。

コンビニスイーツの多くは200~300キロカロリーである。しかも、プリンやシュークリームなどは一度開封してしまうと少し食べて残りは取っておく、ということが難しい。

それに比べて、ランチパックは1枚食べて残りは冷凍庫にしまえば、またいつでも好きな時に食べることができる。冷凍すれば乾燥も傷みも抑えられるのだ、ありがとう文明。

 

 

オチも考えずに1500文字も書いてしまった。タイトルこそ疑問文の体裁を取ってはいるが、内容はランチパックへの愛とそれをおやつにしていることへの言い訳に過ぎない。

 

別にいいんじゃないかな。好きな時に好きなもの食べれば。朝食りんごヨーグルトを昼に食べようと、午後の紅茶を朝から飲もうと、ランチパックをおやつにしようと。

冬瓜の旬って夏だし。

 

偏屈王の話

昨年の母の日からブログの更新が止まっていた。何に失礼って父にであろう。父の日はどうした。

昨年は妹と折半してちょっと良いワインを贈りました。今年は父の好きなロータスビスケットを使ってチョコブラウニーを焼きました。どちらも喜んでもらえて何よりです。

 

私は比較的、というかかなり、むしろめちゃくちゃ、父親と仲の良い娘だと思う。

幼稚園児の私を英会話教室に通わせるよう提案したのは父であったし、小学生6年間続けた進研ゼミの進捗確認も父がしてくれていた。

中学生の頃、人間関係で上手くいっていなかった私は父に「馬鹿ばかりが良い目を見る世界だ、辛い」と言った旨の愚痴を零した。(当時の私は今より捻くれており、周囲を馬鹿にする卑しさがあった。猛省。) それに対し父は、「お前が頑張り続ければ、馬鹿は自然淘汰されていくから大丈夫だ」と咎めることなく同じ視点に立った言葉をくれた。

努力しても馬鹿を見るだけだと自暴自棄になりそうだった私に、頑張り続ける力をくれた言葉だ。事実、高校も大学も第一志望に合格し、学びたいことを学んで大切な友人と出会えたのだから父の言葉は本当だったのだろう。

 

思えば昔から、父のアドバイスは親としての模範的なそれとはかけ離れている。

 

小学校の授業で原爆について学んだ日の夜、「飛行機の音がするたびにミサイルなんじゃないかと怖くて眠れない」と怯える私に、「光は音より速い。本当にミサイルだったら音が聞こえる頃にはお前は死んでるから心配するな」と教えてくれた。ミサイルより我が家の教育方針が心配だ。しかしこれは前にも何処かの記事で書いた話なので、もう一つ。

 

同じく小学生時代の話。浴衣を着て友人と夏祭りに行くとこになった私に、母が「変質者に気をつけなさいよ」と声をかけた。当時の私はロリコンなどというものを知る由もなく、「こんな子供に声かける人なんていないよ」と笑い飛ばした。すると父は真顔で、「いや、お前じゃもう遅いって奴もいるんだ。気をつけろ」と言ってきた。怖すぎる。もはや警告ではなく脅しである。

しかし怖いが故に効果はてきめんだった。私は友人と離れることも、だらだら夜を更すこともなく祭りを楽しんで帰宅した。

 

父を讃えるためにこの記事を書いているはずなのだが、これでは逆効果ではなかろうか。

しかし、私のような父親譲りの捻くれ者には100人中100人が思いつくような教科書通りのアドバイスより、父の言葉の方がずっと心に響くし記憶に残るのだ。

死なない理由を見つけるために生きてる

なんと一年以上ぶりにこんにちは。

 

随分前に飽きちゃってアプリ消して、存在すらも忘れていました。

だけどこの前Right-onでヘッダーに使ってるバンクシーのイラストが描かれたトートバッグを見つけて、このブログの存在を思い出しました。ついでにそのバッグも買いました。

 

タイトルがメンヘラっぽくなっちゃったけど全然病んでません。というか、この死にたがりの現代日本でおよそ信じられないくらい、死にたいなんて思うことなく生きてます。

自炊のおかげかしら。コロナ自粛で暇を持て余した結果、毎日のようにお昼ご飯を作ってます。料理の腕は上がりましたが体重も増えました。外に出なくてもお腹は空くんですよね。

両親はコロナの影響を受けることなくずっと仕事を続けていたし、妹は看護学生ということもあって緊急事態宣言解除後すぐに学校に行き始めました。

つまり、我が家でニートのように暮らしているのは私だけです。内定取得後の大学4年生という順風満帆な字面とは裏腹に、そろそろ暇であることに危機感を覚え始めました。

 

危機感があると言えども、さっき書いた通りやっぱり精神状態はとても良いです。

 

手放したら辛くて生きていけないと思ってたものから実際手を離してみたら、びっくりするくらい楽になりました。

あと、自分には縁がないと思ってたことに手を伸ばしてみたら、びっくりするくらい幸せな思いができました。

自分の好きな服を選ぶように戻って、しばらくは何を着たら良いのか途方に暮れていました。けど最近は衝動買いも増えたし、骨格診断の予約もしました。

距離を置いていたピンク色はやっぱり好きみたいです。whomeeの限定色、cherry pinkのマスカラをゲットしたのでご機嫌です。

 

生きるのに明確な目標も理由もないけど、友達とご飯行くとか好きな映画が公開されるとか、新しい服を買ったとか、とりあえず近々ある楽しいことのために生きてても良いんじゃないかと思います。

 

 

 

 

偉大な愛

母の日がくると、改めて母親の偉大さを思い知る。

 

さらに言えば、その思いは歳を重ねるごとに強くなっている。

自分が大人になるにつれ、母がどれほど自分のために尽くしてくれていたかに気が付くからだろう。

 

 

思い返せば幼稚園児の頃、母は毎晩私と妹に読み聞かせをしてくれていた。

 

彼女は2行以上の文章を読むことが大嫌いだ。

取り扱い説明書や旅行のパンフレットはおろか、テレビの番組表すら億劫がって読まない。

 

そんな彼女が、毎晩毎晩、私達の成長に合わせて、私達が面白いと思える絵本を選んで読んでくれていたのだ。

 

大学生になった私が、本好きが高じて英文学を専攻しているのは、この時の彼女の努力のおかげだろう。

 

 

自転車や逆上がりの練習にもとことん付き合ってくれた。

 

ハンドボール部に青春を捧げた母の娘デあるにもかかわらず、私は天性の運動音痴だ。

保健体育のテストで100点を取っても3より上の成績がついたことは無い。

 

自転車を漕げずに転んだり、逆上がりで手を滑らして落下したりすることは何度もあり、その度に大泣きしていた。

そんな私に、母は「やるの!?やらないの!?どっち!!」と、実質一択の質問をぶつけ叱咤激励してくれた。

 

いや、当時はどんな鬼か悪魔かと思っていたが。

 

しかし、そんな猛特訓のおかげで、どちらも習得することができた。

今思えば、母だって折角の休日に何時間も外で不貞腐れた子供に付き合い、上げたくもない大声を上げて体力を消耗したくなど無かっただろう。

 

今になってようやく、当時の母に感謝できている。

 

 

小学校3年生の春には、肺炎にかかって入院した。

40度の熱と咳に苦しめられた記憶はあるが、それ以上に、毎日お見舞いに来てくれた母の姿の方が印象的だ。

 

当時、妹は小学校に入学したばかりだった。

持ち物を揃えたり教科書に名前を書いたりといった細々したことから、保護者会や健康診断といった時間のかかるものまで、様々な支度があっただろう。

掃除洗濯炊事に加え、近所のクリニックで医療事務のパートもしていた。

 

どうやって毎日、笑顔で、病院に顔を出して看病してくれていたのだろう。

 

思い返すだけで泣きたくなるほど偉大な母だ。

 

 

こんな調子で振り返っていては、全てを書きあげる頃にはカンタベリー物語もしっぽを巻いて逃げ出すような大長編になってしまう。

 

兎角、母の愛は偉大だ。

作用反作用の法則に則り、私も同じくらい彼女を大切にしたい。

 

 

ちまちま書いていたら母の日から1週間近く経ってしまった。次に来るのは父の日だ、彼への敬愛も再確認して過ごそう。