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独りよがりで良いじゃない

偉大な愛

母の日がくると、改めて母親の偉大さを思い知る。

 

さらに言えば、その思いは歳を重ねるごとに強くなっている。

自分が大人になるにつれ、母がどれほど自分のために尽くしてくれていたかに気が付くからだろう。

 

 

思い返せば幼稚園児の頃、母は毎晩私と妹に読み聞かせをしてくれていた。

 

彼女は2行以上の文章を読むことが大嫌いだ。

取り扱い説明書や旅行のパンフレットはおろか、テレビの番組表すら億劫がって読まない。

 

そんな彼女が、毎晩毎晩、私達の成長に合わせて、私達が面白いと思える絵本を選んで読んでくれていたのだ。

 

大学生になった私が、本好きが高じて英文学を専攻しているのは、この時の彼女の努力のおかげだろう。

 

 

自転車や逆上がりの練習にもとことん付き合ってくれた。

 

ハンドボール部に青春を捧げた母の娘デあるにもかかわらず、私は天性の運動音痴だ。

保健体育のテストで100点を取っても3より上の成績がついたことは無い。

 

自転車を漕げずに転んだり、逆上がりで手を滑らして落下したりすることは何度もあり、その度に大泣きしていた。

そんな私に、母は「やるの!?やらないの!?どっち!!」と、実質一択の質問をぶつけ叱咤激励してくれた。

 

いや、当時はどんな鬼か悪魔かと思っていたが。

 

しかし、そんな猛特訓のおかげで、どちらも習得することができた。

今思えば、母だって折角の休日に何時間も外で不貞腐れた子供に付き合い、上げたくもない大声を上げて体力を消耗したくなど無かっただろう。

 

今になってようやく、当時の母に感謝できている。

 

 

小学校3年生の春には、肺炎にかかって入院した。

40度の熱と咳に苦しめられた記憶はあるが、それ以上に、毎日お見舞いに来てくれた母の姿の方が印象的だ。

 

当時、妹は小学校に入学したばかりだった。

持ち物を揃えたり教科書に名前を書いたりといった細々したことから、保護者会や健康診断といった時間のかかるものまで、様々な支度があっただろう。

掃除洗濯炊事に加え、近所のクリニックで医療事務のパートもしていた。

 

どうやって毎日、笑顔で、病院に顔を出して看病してくれていたのだろう。

 

思い返すだけで泣きたくなるほど偉大な母だ。

 

 

こんな調子で振り返っていては、全てを書きあげる頃にはカンタベリー物語もしっぽを巻いて逃げ出すような大長編になってしまう。

 

兎角、母の愛は偉大だ。

作用反作用の法則に則り、私も同じくらい彼女を大切にしたい。

 

 

ちまちま書いていたら母の日から1週間近く経ってしまった。次に来るのは父の日だ、彼への敬愛も再確認して過ごそう。