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独りよがりで良いじゃない

沙翁の話

私は大学でイギリス文学を専攻している。具体的にはウィリアム・シェイクスピアが専門だ。

これを人に言うと「かっこいい」「文学少女だね」などと褒められることもしばしばあるが、実際のところはそんな大層なものではない。

 

そもそも、大学に入るまでシェイクスピアの作品など一つも読んだことはなかった。

いや、小学生の頃、図書室に置いてあった『ロミオとジュリエット』に手を伸ばしたことはある。「セリフの上に名前が書いてある。本じゃなくて台本じゃん読みづら!つまんない!」と思った。甚だ失敬な子供だな。

 

読書は好きであったが読むのは専ら日本の小説で、海外の文学作品にはほとんど興味がなかった。

しかし、英米学科に入ったからにはそうも言っていられない。安直な私は、自分でも知っているイギリス人作家、すなわち世界で最も偉大な作家の一人、シェイクスピアの作品に手を伸ばしたのである。

 

かつて『ロミオとジュリエット』に全く惹かれなったことは覚えていたため、悲劇ではなく読みやすそうな喜劇を選んだ。それが『十二夜』で、とても面白かった。

子供の頃は奇妙に感じたト書やセリフ割も、そういうものだと思えばむしろ自分でテンポを作って読み進められるため読みやすかった。(そもそも、シェイクスピアの作品は戯曲であって小説ではない)

幸運なことに、妹も『十二夜』に興味を示した。彼女は本の類には一切興味が無いが、当時舞台俳優にハマっていた。シェイクスピアの作品は今でも世界中で舞台化されている。妹の好きだった俳優もこの『十二夜』で主役を演じており、彼女はそのDVDを購入していた。

映像化されたものを観ることで、自分の想像力の乏しさを痛感した。先程「自分のテンポで読み進められる」などと書いたが、プロの演技や演出はそんな次元ではなかった。

極端な例をとして『ジュリアス・シーザー』が挙げられる。シーザーが殺される場面には、彼のセリフの末尾に「死ぬ」と記されているのである。それだけ見ればシュールなギャグかと思う。

その2文字にどれだけの説得力を込められるか、これが役者や演出家、そしてもちろん観客にもに求められる想像力である。

 

私が思うにシェイクスピアの作品の魅力とは、その美しい文体や魅力的なキャラクター、巧みな構成やユニークな世界のみならず、そこに想像の余地を多分に残してくれている点にある。

それぞれのキャラクターが、与えられたセリフを、どんな声、表情、スピード、身振りで発したのか、それを自由に想像し自分なりの世界を創りあげる。それがめちゃくちゃ楽しい。

この楽しさを伝える語彙が「めちゃくちゃ楽しい」ではシェイクスピアに面目が立たないが。

 

何となく手を伸ばしたシェイクスピア作品だったが、今では舞台を観に行ったり彼の生家を訪ねたりと、その魅力に完全にハマっている。

どこに着ていくのか分からない『ハムレット』の名言Tシャツまで持っている。f:id:conmigo:20200709194517j:image

 

一番好きな作品は『十二夜』。四大悲劇はどれも好きで甲乙つけ難い。好きなキャラクターは『オセロー』のイアーゴー、嫌いなキャラクターは『じゃじゃ馬ならし』のペトルーキオ。卒業論文は『お気に召すまま』をテーマに書く予定。

 

以上、私とシェイクスピアのお話でした。オチは無いです。私は彼のような名作家ではないので。