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独りよがりで良いじゃない

積ん読

読書が好きな私は、通学中も大抵小説を読んでいる。スマホは通信速度制限が怖いし、友人と一緒に登校している訳でもないため、読書が最良の暇つぶしなのだ。

本の内容やページ数、課題の進捗状況などにもよるが、月に2~4冊ほど読む。好きな作家さんのものはもちろん、友人に薦めて貰ったものや授業で取り扱われて興味が湧いたもの、店頭で何となく惹かれたものなど、種類は様々だ。

そうなると読みたい本の数が読むスピードを超えてしまう。元々ストック癖のある私は、「買っておけばいつかは読める」「とりあえず手元にあれば安心」といった思いで本を購入しがちだ。

読みたい本を全て購入することは貧乏学生には厳しいため、図書館も利用する。当然、借りた本には返却期限があるため、図書館の本は優先的に読まれる。その結果、もう半年ほど読まれることなく本棚に鎮座している小説がいくつかある。それらは純文学であったり、シェイクスピアであったりと、読みたいとは思ったものの些か敷居の高いものが多い。どれも名作である以上面白いことは間違いないのだろうが、どうしても気軽に読めるエンターテインメント小説の方に手が伸びる。

私にとって読書は間食のようなものだ。生きるのに必須という程ではないが、あると生活が少し楽しいものになるし、教養という名の栄養が得られる。時々友人から語彙の多さを褒められることがあるのは、間違いなく読書のおかげだ。更に、本にも実際の間食のように賞味期限のようなものが存在すると思う。前回のブログで述べた通り、『人間失格』は読むたびに違う印象を抱けるものだ。小学生の時の純粋さも、中学校の時の繊細さも、今の私にはもう取り戻せないのだ。本によっては、そうしたタイミングを逃したら面白く読めないものもあるだろう。時期を見極めて読まなくては、作品の価値を理解出来ずに終わりかねないのだ。

そう思うほどに、貯め込んだ本を早く読みたい気持ちも昂る。それもまた、読書を楽しませる要素の一つなのかもしれない。